確かに泣ける事は泣けるんだけど。
この映画がもし中東のどこかの国が制作していたら
もっと別の感想が生まれたかもしれない。
もっと言えばアメリカ以外の国のどこかが制作していれば。
アメリカが作る事によってタリバンの描写が露骨すぎて、どうも鼻につくのである。
少なくともタリバンは当初アフガニスタンの国民に受け入れられていたわけだし、それを是とする国民を大勢いたわけです。
姦通罪に問われた女性を処刑するシーンに一番違和感を感じた。
欧米諸国や日本ではあの光景は「惨い」シーンに映るわけですが、イスラム社会にとってはそれほどおかしい光景ではない、つまり処刑を見ていた観客が目を背ける、という光景にはならないと思うのです。
他のイスラム教の国でもこういった女性蔑視の行為が他の非イスラム諸国から異様な目で見られたとしても、サウジアラビアやイランでは今現在でも女性側に重罰が科せられているというのに
それを「タリバンが行っている」「それを国民は嫌がっている」というように見せるのはちょっと良くない。ちょっとした印象操作ですよね。
このタリバンの描き方がもろにアメリカらしいというか、
映画にまでタリバン=悪、アメリカ=正義が散りばめられていて非常に不快でした。
おまけに昔ハッサンを虐めていた不良がタリバンになる、ってわかりやすすぎ。
話がだいぶと横道にそれてしまったわけですが、物語自体は良かったと思います。
少年時代のアミールは臆病者で、それ故にハッサンを裏切り逃げる事になるわけですが。(時代もあったと思うけど)
誰だって自分が傷つくのは怖い。
少年時代のアミールが他の人間に比べて卑怯だったわけでも弱かったわけでもないと思います。
日本のいじめにもちょっと似ていて皆口では「いじめられている人を助けるべき」と言っていても実際その現場を目撃したら黙って見過ごしてしまう。そういう感情に似ていると思う。
立ち向かうのが怖くてアミールは自分の為に凧を取りに行ってくれたハッサンを見捨ててしまうわけですが、
こういう弱さって誰にでもあるものなのだと思います。
そんな弱さ故に卑怯になってしまうアミールと正反対の位置にいるのが彼の父親。
彼の父親は少年アミールを「人を守れない人間は自分も守れない。」と評し、またパキスタンへの亡命の際には見ず知らずの夫婦の為に命をかけるわけです。
この父親、めちゃくちゃかっこいいですよね。
今まで富豪暮らしだったのにアメリカでガソリンスタンドで働いて。
今までのプライドを捨ててアミールを大学卒業まで育てたんだもの。
自分のプライドを捨てる勇気、それがなければアメリカで生きてはいけなかったと思います。
映画ではアミール側の視点でしか描かれなかったわけですが
アミールと離れてからのハッサンはどう過ごしたのか。
ハッサンはアミールに手紙を書くために独学で読み書きを練習し、その手紙をアミールの恩師に託す。
酷い裏切り方をしていてもアミールをハッサンは慕っていて、
そのハッサンの気持ちがわかるから不覚にもべたにここで泣いてしまった。
アミールの弱さや卑怯さをハッサンがどこまで気付いていたかはわからないけど、いつかもう一度会える時の為に家を守り、読み書きを学んだハッサンの気持ちに涙しました。
映画の中で2回出てくる「君のためなら千回でも」という言葉。
一度はハッサンがアミールに。
そして二度目はラストシーンでアミールが言う言葉です。
どれだけ時間が経っていても、そしてその言葉を放つ人物が違っても言葉に含まれている愛情はきっと変わらないんだろうな。
と思ってラストでまたちょこっと泣きました。
でもちょっと疑問なのはアミールはハッサンを友達と思っていても
ハッサンはアミールの事を純粋に「友達」として見ていたかは謎ですね。あくまで「仕えている身」っていう風に見えたし。
参考
駆け落ちした17歳クルド人少女、兄弟や親族にリンチ殺害される→殺害映像がインターネット上のサイトに掲載 集団レイプ被害の女性(19)にむち打ち200回の刑…サウジアラビア イスラム社会にある名誉の殺人イスラム社会ってこういうものです。
タリバンの味方をするわけでも、同情するわけでもないですが
タリバンだけが姦通罪の女性に対して重罪を化したわけではないです。